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2009.11.04 人間の四季
大学の学園祭が30日から1日まであり、授業はなし。
2日は11月23日の代休。3日は文化の日。そして今日水曜は入れているドイツ語の授業が休講。
その結果なんと6連休に。
でも毎日車校に行ってました。

さて、ようやく言の葉に一つアップ。
どれから書こうかとずっと迷っておりましたが、やはり一番手は松陰先生に。


「留魂録」 

第八章
一、
今日死を決するの安心は四時の循環に於て得る所あり。
蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。
秋冬に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。
未だ曾て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。
吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ実のらざるに似たれば惜しむべきに似たり。
然れども義卿の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。
何となれば人寿は定りなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。
十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。
三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。
十歳を以て短しとするは蟪蛄をして霊椿たらしめんと 欲するなり。
百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。
斉しく命に達せずとす。
義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の粃たると其の粟たると吾が知る所に非ず。
若し同志の士其の微衷を哀れみ継招の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、
自ら禾稼の有年に恥ざるなり。
同志其れ是れを考思せよ。

   西成…秋に植物が成熟すること  
   義卿…松陰の字
   蟪蛄…夏蝉 蝉の命が短いことを言っている
   霊椿…長生する霊木
 

現代語訳
一、
今日私が死を目前にして平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを
考えたからである。
つまり農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを貯蔵する。
秋・冬になると農民達はその年の労働による収穫を喜び、酒を造り、甘酒を造って、
村々に歓声が上がる。
この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを哀しむ者がいるということを聞いたことがない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。未だ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、是までの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。
だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。
なぜなら人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季を巡っていとなまれるようなものでないのだ。
しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。
十歳にして死ぬ者には、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、
三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずからの四季がある。
十歳を以て短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
百歳を以て長いというのは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは私の知る所ではない。
もし同志諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。
同志よ、このことをよく考えてほしい。

  <引用:古川薫 『吉田松陰 留魂録』 講談社学術文庫>


松陰先生のこの死生観。
もう素晴らしいとしかいいようがありません…
まさに名文です。
先生は自分の実は「モミガラか粟」か分からないと言っていますが、
決して単なるモミガラなどではなく、立派な実であったことは歴史が証明しています。
今年は松陰先生没後150年。
多くの人にこの名文を読んでほしいと思います。
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