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本日10月27日
吉田松陰先生のご命日。
追悼をこめて、先生の詩歌を紹介します。



先生の辞世の句を4つほど紹介します。
 
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置まし大和魂

これは一番よく知られているのではないでしょうか。
松陰先生が処刑の2日前に書き始め、処刑前日に書き上げた、弟子達への遺書
『留魂録』の冒頭に書かれたものです。この『留魂録』は攘夷志士たちのバイブルとなりました。
特に彼の死生観が四季に例えて書かれている第八章は、素晴らしいと思います。
また紹介していきたいと思います。
話がそれてしまいましたが、此の歌を簡単に訳すと
「たとえ肉体が滅びても、私の魂は永遠に消えることなくこの日本を護るだろう」
みたいな感じ…あんまりあてにしないでください。自信がないので。
松陰先生が「留め置」いたもの。
それは彼が唱えた思想なのか、それとも遺志を受け継いだ弟子達なのか。
それは本人しかわからないし、とらえ方は人様々です。
が、私自身は弟子達だったと思っています。
いらんこと言ってごめんなさい。戯言だと思って聞き流してください。


 
 親思ふこゝろにまさる親こゝろけふの音づれ何ときくらん

「子が親を思う心よりも、親が子を思う心のほうが遙かに強いのだ。今日私の死を聞いて、家族はなんと思うのだろうか」
これも名言ですよね。こっちは『永訣書』といって家族に宛てた遺書に書かれていた物です。
『永訣書』 題名の通り、永遠の別れ。
松陰先生にとって、家族へ宛てた最期の手紙。
いったいどんな思いで書いたのでしょうか……
そして永遠の別れ、と書かれた手紙を受け取った家族は…
この歌には松陰先生の、家族への謝罪がこめられているのだと思います。



 此程に思ひ定めし出立ハけふきくこそうれしかりける

10月27日、松陰先生は評定所へ呼び出され死刑を言い渡されます。
そしていったん牢屋に戻され、再び死刑執行の為呼び出されます。
此の歌は呼び出されたときに書いた物、つまり絶筆なのです。
私はこの絶筆を萩博物館で見たのですが、死を直前にした人間とは思えないほど、字の乱れもなくきちんと書いてありました。
此の歌はよく見ると「けふきくこそ」の所が字余りなんです。
実物には「き」だったと思いますが、横に点がつけてあります。
その点は汚れでもなく、字余りに気づいた先生が点を書いてつけたしたのです。
松陰先生はそんな余裕があるほど落ち着いていたのです。
こんな字で言われても分からないと思いますが、本物みたら納得できると思います。



 我 今 為 国 死
 死 不 背 君 親
 悠 々 天 地 事
 鑑 照 在 明 神


 我今国の為に死す
 死して君親に背かず
 悠々天地の事
 鑑照明神に在り


これは口頭で詠った辞世の句です。
前述の和歌を書き留めたあと、役人に急かされたため漢詩は書くことができなかったようです。
意味は前半は分かるのですが、後半がまだ分かりません。



安政6年10月27日(1859年11月21日)
吉田松陰は江戸伝馬町の刑場の露と消えました。
享年29。数え年30。
現存する肖像画からかなり老けているように見えますが、まだ29歳という青年でした。



またグダグダになってしまいました。


余談ですが、昨日10月26日は伊藤博文の命日でした。
明治42(1909)年10月26日。
韓国ハルピンにて暗殺。享年68。
松陰先生の命日に気をとられてすっかり忘れてました(ヒドイ)
ごめんね俊ちゃん。
来年はきちんとします。
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