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山口・萩旅行の続きです。



2009年5月5日 二日目 その2

松陰神社をあとにして、次は団護岩に向かいます。
団護岩は松陰先生の生誕地であり、現在は杉家の墓があります。松陰先生は杉家の次男であり、叔父の吉田家へ養子に入ります。

神社を出てすぐ近くの道へ入ります。
少し歩くと、現れたのは吉田稔麿生誕地。

栄太誕生地

ほんとに松下村塾の近くにあります。現在は石碑しかありませんが、昭和までは生家が残っており、子孫の方が棲んでおられたみたいです。

そして栄太の誕生地の向かい側の道
場所
位置的にはこんな感じの所に

伊藤博文の旧宅があります。

俊輔旧宅

俊輔はもともと萩ではなく周防国の村、現在の光市の出身です。
父親が足軽伊藤家の養子となったので萩に引っ越してきたのです。
おおざっぱな地図を見ての通り、栄太の家のすぐ近くにあります。だから栄太と俊輔は幼馴染みで、小さい頃よく一緒に遊んだみたいです。

俊輔の家は軽く見て(ひどい)、いよいよ団護岩へ向かいます。
団護岩にたどり着くのはかなり大変でした。なぜならかなり急な坂を登らなければならなかったからです。長いし暑いわでかなりへとへとになりながら登りました。

登り切ると最初に目に入るのはこの石碑。

晋作草庵跡地

高杉晋作草庵跡地。高杉さんは藩の方針に嫌気がさして、十年暇を貰い出家する、といって坊主になったことがありました。その時、この団護岩にあった草庵に引きこもりました。
でもすぐに下関戦争の講和使者として引っ張り出されるんですけどね。

顕彰碑をすぎると、すぐに杉家の墓があります。松陰先生は勿論、なぜか高杉さん、久坂さん、栄太の墓もあります。
少し暗くて涼しいし、静かでとても良い場所です。

栄太墓。
栄太墓

東行墓。
晋作墓

松陰先生墓。
松陰先生墓

見えにくくてすみません。なにせデジカメではなくインスタントカメラで撮ったので……
そして久坂さんの墓を取り忘れるという失態。
もう最悪です。


お墓参りをすませ、次は城下町へ向かいます。
目指すは萩博物館。
しかし、そこで悲劇が起きました。詳しくは次回。
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