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言ってる傍から今年の目標は達成ならず……
仕事を舐めてました…

本日は年麻呂史料第三回目。
これもいつまで続けられるのか…
今回はあの人が登場。



9.吉田松陰より 【安政4(1857)年8月26日】




一、上張地 一
右非薄之至に御座候へ共、聊御東行○に致候。拙者家の門を出度も存候得共、其儀憚有之差控申候。不図昨年面会已来不一方御世話に相成、毎々申候様偶然とは乍申貴所と称号を同する事如何にもよしありげに覚候。拙者身上は御存之通にて已に自ら決定致居候得共、後来之所貴所ならては○か微志を継可申。兼ても申述候通、別に其人あらは貴所力を添られよ。若無其人候はゝ貴所が即其人と存候。此度御身上も少しくくつろがれ候事に付、何卒天下国家之為と被存候て、拙者心願筋御取継き被下度頼入候。此度之東行、前条之論より見候はゝ無用之大有用と拙者におゐて甚欣喜に存候。申も愚候得共、万事無御油断様御出精可被致候。天下国家之御事は中々一朝一夕に参るものに無之、積年之至誠積みにつみての上ならては達するものに無御座候。贈り物は○薄と雖、愚心之注する所は○薄には無之候。深々御垂察被下候はゝ本望不過之候也。

 安政四年八月廿八日 吉田寅次郎(花押)

 吉田栄太郎殿 足下



【解説より】
江戸番手御供小使として藩主参勤の列に加わり、三たび江戸に行くことになった栄太郎に餞別の上張地を添えて送った。九月五日、出発する榮太郎に、松陰は桂小五郎宛ての紹介状(関係史料にて紹介予定)を持たせ送り出した。








10.吉田松陰・松浦松洞より 【安政4年8月】



疑則弦与○惑覧月者年中団而五座留
 丁己仲秋使松洞写月贈無逸東行、回誌(印)(印)


(『松陰先生と吉田稔麿』写真版)


【解説より】
松洞が描いた月に、松陰が賛を与えて栄太郎に与えたもの。








11.送序・高杉晋作 【安政4年8月頃】




   送無逸東行序
予之始詣松下村塾也、有一生退然諸生之後、神彩英暢眼光射人、問其名字曰秀実無逸、問其班則曰軽卒也、予一見以為可共談○、歳丁巳九月、無逸従駕将東、我乃謂曰夫天之覆地之載皆気也、生其間者、夷狄禽獣也、草木山川也、皆無不稟其気者也、而其至精至粋惟人為然、人苟養其気、則天下無不可為事也、況大地之正気鍾我神州、人焉楠公、木焉扶桑、山焉不二、是皆正気之洩溢也、観之接之、又可以養我気、今扶桑枯、楠公逝、而尚○々直立天地之間者、独不二獄而已、嗚呼無逸士雖卑、気其可不養往、不二存前、以是観天下、其必有所得焉、我将其帰而共談事

 高杉晋作春風拝

(吉田松陰の添書き)
「是序を稽延したは僕が罪なり。高杉よりは頓に来り居候なり。高杉至極勉強なり。徳民がのも僕がすべら」


 (萩本陣蔵)



【解説より】
榮太郎の三回目の江戸行に際して、高杉が栄太郎に贈った送序文。
松陰に託したようだが、彼のミスで榮太郎に渡るのが遅れたようである。





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