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2011.03.27 詩は志なり 24
もうすぐ新学期が始まりますね。
3回生になるということで、今年のゼミからは卒論の下地と為る研究を始めるわけですが…
まだはっきりとしたことを決めていない状態です。

もちろん漠然とは決めてます。
時代はもちろん幕末の長州ですが、細かいとこをどうしようか絶賛悩み中です。
松門四天王を中心とした村塾生に注目しようとは思ってるんですが。
桂さん出せるかな…聞多や周布さんについても触れたいし…とさらにグルグルと悩んでます。
「二兎を追うものは一兎も得ず」といいますからね…

そんなこんなで、この3月下旬は時間割考えたり研究テーマ考えたりバイトしたりと先月より忙しいです。


続きから晋ちゃんと聞ちゃんの漢詩です。



      井上聞多・作

    身被数創志未灰
  何時蹶起払気埃
  喜君雄略存方寸
  病苦忘来且侑杯
 
 

    身は数創を被るも志は未だ灰ならず
  何れの時か蹶起し気埃を払わん
  君の雄略方寸に存するを喜び
  病苦を忘れ且つ侑杯し来らん





    高杉晋作・作
    
    廿五日鴻城訪井上聞多、次主人韻

  心胆未灰國欲灰
  何人拂尽満城埃
  漆身呑炭吾曹事
  要護防長坏土来




    五日鴻城井上聞多を訪う、主人の韻に次す

  心胆未だ灰ならず國灰ならんと欲す
  何人か満城の埃を拂い尽さん
  漆身呑炭は吾曹の事
  防長の坏土を護り来らんことを要す








…聞多の方の書き下し文が怪しいので、正確なものを知ってるわ!という方がいれば教えてください。

パッと見て分かると思いますが、この漢詩は二人が読み交わしたものです。
高杉さんの題から聞多が先に詠み、その韻を踏んで高杉さんが読んだものでしょう。

詠み交わした時期は元治元年10月25日。
聞多が袖解橋の変にて負傷した約1ヶ月後です。
鴻城(現在の山口県山口市小郡付近)にて療養中の聞多を高杉さんが見舞った時。

何となく意味は分かると思いますが、一応意訳を。
かなり大雑把です。本当に意訳です。

井上聞多
「身体は何創も傷を負ったが志は未だ消えることはない
 何れの時か決起して気持ちに積もる埃を払おう
 君(高杉)の胸の中に雄大な決意があることを喜び
 傷の痛みも苦しさも忘れ酒を酌み交わそう」

高杉晋作
「私の志は消えずとも国は今にも消えようとしている
 だれが満城の埃を払い尽くすのだろうか
 復讐のために苦心するのは私の仲間である
 この長州の地を護り来ることを望む」

まあ…こんな感じかな…
怪しい所が多々ありますが許してください。

なんかこの漢詩は好きなんですよね。
時期としては、高杉さんら長州攘夷派に粛清の嵐が吹き、さらに長州征伐も迫っているまさに背水の陣。
そんな中、療養中の聞多を見舞った高杉さん。
以前高杉さんが幽閉中の時、聞多が来てくれたことがあったんですよね。
雅子さん(高杉さんの奥さん)によると、その時すごく高杉さんは喜んでいたと。
そのことを思い出しながら聞多に会いに行ったのかな~なんて思ったりしました。

さて、これ以上は二人の関係性になってしまいそうなのでこの辺で。
考えがまとまったらきちんと書きたいと思います。


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