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2009.07.17 井上馨
2010年の大河ドラマ「竜馬伝」のキャストがまた発表されていました。
今回は以蔵や武市さんでした。

残念ながら長州人はいませんでした…竜馬が主役なので、最低でも玄瑞や桂さんは登場すると思うのですが。できれば高杉さんも出してほしい。

頼むぞNHKよ…!!


井上馨

井上馨1 井上馨2


天保6年11月28日(1836年1月16日)~大正4年(1915年)9月1日
周防国湯田村生まれ。長州藩士井上五郎三郎光享の次男。
幼名:勇吉  通称:聞多  号:世外  諱:惟清
享年81

生涯
長州藩の上士の家に生まれる。藩校明倫館で学んだ後、尊皇攘夷運動に参加。文久2年の江戸遊学の時には、高杉晋作や久坂玄瑞ら松下村塾生とともに英国公使館焼き討ちなどを決行。
翌年の文久3年には、伊藤俊輔らとともに英国へ5年間の留学をする。しかし、そこで欧米文化を目の辺りにした事で開国論に転ずる。下関外国船砲撃事件を知ると、伊藤俊輔と二人で急ぎ帰国し、和平交渉に尽力する。第一次長州征伐の際には、武備恭順を唱えたため、俗論派から襲撃され瀕死の重傷を負うが、奇跡的に一命を取り留めた。〈袖解橋の変〉 
その為、彼の顔や身体には無数の傷跡が残っている。その後、高杉等と共に藩論統一を成し遂げ、薩長同盟、討幕を成功させる。

維新後は名を馨と改め、財政界で活躍。しかし、汚職事件を起こし辞職。実業界に身を置くが伊藤博文の強い要請で政界に復帰する。伊藤亡き後は、元老として絶大な勢力を持った。


長州ファンの間では通称聞多。藩主毛利敬親が与えた名前。親友は高杉晋作伊藤博文。上士でありながら身分にはこだわらず、農民の子で6歳年下の伊藤とはお互い「俊輔」「聞多」と呼び合う仲で、御神酒徳利と言われたほどであった。

逸話
聞多は短気であり、仲間であろうと藩主であろうと怒鳴りつける。その為、維新後は「雷」とあだ名されたらしい。
高杉と久坂が喧嘩した際、聞多は「自分が必死で金を集めていたのに、お前たちは酒を飲み物を食らい、ましてや喧嘩騒ぎとは何事だ!!おもしろくねぇ!!」と、怒鳴り散らし大暴れし始めた。これには高杉と久坂も驚き、二人して聞多を止めるので精一杯で喧嘩どころではなくなったという。

維新後の明治44年5月20日、高杉晋作顕彰碑の除幕式に亡くなった伊藤の代わりに出席し、演説を行った。ひどく暑い日で、出席していた小学生たちが熱射病で次々と倒れる中、76歳の聞多は平然として2時間にわたり声涙の大演説をおこなったという。


あとがき
聞多は塾生ではありませんが、かなり大好きです。
いろんなサイトでよく“聞多が一番高杉の事を理解していたのでは”という意見をみますが、私もそうではないかと思います。れっきとした根拠はないのですが、色んな小説やドラマを見ていると、自然とそう思えてきます。おすすめのドラマは「奇兵隊」。短気な聞多を見れます。
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