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2010.06.19 類は友を呼ぶ
『池田屋事変始末記 吉田稔麿の最期』を読んでちょっと思ったこと。
大したことではないし、相変わらず何が言いたいのかよく分からないのでたたみます。


栄太郎と高杉さんは何か似ているなあと思います。
まず一点目は「頑質」と「識見」という才能。
これは松陰先生も認めています。完璧に一緒というわけではなく、松陰先生曰く
「暢夫(晋作)は陽頑、無逸(栄太郎)は陰頑」とのこと。
簡単に言うと高杉さんは表に出て、栄太は内に秘めるタイプということです。
「識見」に関しても先生曰く「識見暢夫に彷彿す」とお墨付きです。
ただし、栄太の場合は自分の才能に少し溺れるとこがあった模様。
これらから二人はかなり似通った「才」をもっていることが分かります。

二点目は境遇、と言ったらいいのかな。
「家族」と「志士」の間でものすごく悩んでるところ。
「志士」というより2人の場合は松陰先生に関わることを反対されてました。
これに対する行動は正反対なんですよね。
高杉さんは夜中にこっそり通い、栄太は家族のため松陰先生・村塾一門との絶交。
彼らは家族と仲間の事を顧みていないのか、と思われるかもしれませんが決してそういうわけではなくて。
高杉さんは両親を安心させるため30歳までしないと決めていた結婚をしたし、栄太も玄瑞や桂さんたちに助けられながら志士活動に身を投じていった。

こんな感じで見ていると、この2人は本質的なものが似ていると思うんです。
性格はだいぶ違いますけど。あ、俊輔をいじめる所は同じです(笑)

さて、こういうコンビ(?)を考える時やっぱり気になるのが仲がいいのか悪いのか。
さっきも書いたように本質が似ている2人なので、栄太の「戯れ絵」からも分かるようにお互いの事をかなり理解し合ってたと思います。
でも「類は友を呼ぶ」という言葉を考えた時に「同族嫌悪」という言葉も同時に浮かんでしまいました。
いったい彼らはどっちなんだろうか。
残念なことに2人の直接の手紙がほとんど残ってないのではっきりと分かんないんですよね。
ただ決して嫌いではなかったと思うんです。
高杉さんは玄瑞への手紙(恋文の件参照)で「栄太はどうしているか」と心配しています。
松陰先生は高杉さんに「栄太を頼む」と言っているし。
これだけでも充分な証拠だと思うのですが、何より決定的(だと自分は思う)なのは高杉さんが栄太の江戸行きに際して贈った送序文です。
かなり簡単で大雑把にですがその部分を訳しますと
「僕が初めて村塾へ行くと一人の男がいた。彼はたいへん優れた風采でまっすぐな眼光は人を射ぬいた。名前を聞くと吉田稔麿。身分は足軽。僕は一見して共に語り合える友になれると思った。」

武士ということに高い誇りをもっている高杉さんが、足軽で2歳年下の栄太郎を絶賛。
これは凄いことです。だからなんだと思われるかもしれませんが。
あの高杉さんが「友になれる=友達になりたい」と本人に言ってるんですよ!
高杉さんが栄太を嫌いなわけがないじゃないですか!!
心配したり頼まれたり。2人に友情がなければそんなことはないと思う。
それにあんな風に自分の事を認めてくれて、嬉しくないはずがない。

ながながとグダグダ書いてますが、結局何が言いたかったかというと

2人は仲良し

まあつまり松門四天王が仲良しならば幸せだ、というだけです。

ここまでお付き合いしてくださってありがとうございました。

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