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人から見た自分シリーズ、高杉晋作編②です。
今回評価してくれるのは彼の親友と後輩たちです。




久坂玄瑞
 ・文久元年8月「入江九一宛て書簡」
暢夫は地位もあり識力もある男なれば、数年間面壁後、藍面人の局面を変ずる事を願い度き考えに候処、図らずも着府後は大決心仕り候ことにて、感心仕り候。


吉田稔麿
 ・「東行先生略伝」
山縣元帥の話に稔麿が我が輩に絵を描いて見せたことがある。其の絵は一番初めに鼻輪を通さない離れ牛を描き、その次に坊主頭に裃を着ている人がいる。その次には木剣があり又その次には棒がある。それで我が輩がこの絵はどういう意味かと尋ねると稔麿の答えに、離れ牛は高杉晋作である。これはなかなか駕御出来ない人である。坊主頭で裃を着て坐って居る人は久坂玄瑞で、これは廟堂に坐らせておくと堂々たる政治家である。其の次の木剣は入江九一である。入江は偉いがまだ木剣くらいである。
それからその次の棒はだれかと聞くと、この棒はお前である、と答えた。実に人を馬鹿にしたものだと笑われた。
 



井上馨
 ・「幕末防長勤皇史談」
其富時(そのとうじ)政府の役人が余り小胆で、高杉を無法者に扱っていた。けれども、三百年に近い徳川の基礎を崩そうというのであるから、あの位に暴れんければ、天下の空気は動かない。
人間は死を以てすれば何事も成し遂げるというのが高杉の信念で、彼が事の当るに臨みて、必ず死を覚悟してかかる、であるから彼は何事にも臆したことがない。



伊藤博文
 ・「伊藤公全集(三)」
 高杉は勇悍の人で、創業的材幹には、よほど富んでいた人だ。

 ・「高杉晋作顕彰碑」
 動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視するなし。
 是れ我が東行高杉君に非ずや。



山縣有朋
 ・「山縣公のおもかげ」
一度高杉が怒り出したならば何人も之をなだめる事が出来なかった。只之を押へるのは松陰先生及同門の入江だけである。先生に頭が上がらぬは無論であるが、どういうわけか入江は高杉の苦手と見へて、諄ゝと説き出すといつも高杉はおとなしくなった故に、何か高杉が怒り出すと、我々は入江に頼んで説いてもらうて居た。

自分などはいつ何時、彼(高杉)の為に腹を切らされる事が有るかも知れぬと思って絶えずその覚悟をしていた。


以上です。
栄太のは「戯れ絵」の話です。
こうして見ると、やっぱり聞多は高杉さんの一番の理解者と言っても過言ではないなあって思います。
俊輔やガタが明治になって「高杉が何ぞや」とかいう中で、聞多だけは悪口(?)を口にすることもなく、高杉家やおうのさんの世話を親身になってしていました。高杉さんと聞多、この2人は双壁に並に大好きです。
そして山縣は高杉さんに関して一番おいしいネタを提供してくれます。
彼のこの話のおかげで、入江兄さん最凶説が生まれました(笑)
てか載せて気付いたけどこれ評価じゃなくてエピソードでしたね……


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