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前回に引き続き、木戸孝允公の日常をお伝えしていきたいと思います。
ただ今回でメモがつきてしまったので、次はいつになるか分かりません…

ではどうぞ。

明治7年(1874年)

6月6日 東京出立の前頻に余暗撃するの企ある風聞を得平岡宍戸其外より頂忠告
      航路をとり帰京可致などゝの説 …省略…


前述を詳しく読んでないので理由は不明ですが、どうやら木戸さんは伊勢へ行く模様。ところが木戸さんを暗殺する、という噂があるので平岡さんや宍戸さんなどから忠告され、伊勢に行くのは止めて東京に戻るべきだとの声があがったみたいです。
しかし木戸さんは練兵館の塾頭を務めた剣豪。暗殺の噂もなんのその。
そんな忠告にお構いなく、さっさと伊勢へ旅立ちます。


同7日 伊藤博文の書状を披見せり於東京余伊勢路に暗撃されしなと風説あり
     懸念の余態と山田を差越せしと見へ防護云々の忠告あり


しかし木戸さんは平気でも周りは心配でたまりません。俊輔からは「東京で木戸さんが伊勢路で暗殺されたとかいう風説を聞いて心配でたまりません。身辺警護をしっかりして気を付けてください」とかいう手紙がきました。内容は脚色があるのであんまり本気にしないでください…
俊輔がこんな感じなんだから、きっと青木周蔵は泣き喚いていることでしょう(笑)


同14日 出石より隅屋直二郎過日余於伊勢路暗撃されし云々を聞態と尋来れり

またまた暗殺されたという話を聞いて隅屋の直二郎さんがやってきました。
木戸さん、いろんな人に心配かけすぎです……


同日21日 雨 骨董屋連木屋町へ十二席を設書画器物を陳列し来客へ茶菓をすゝむ
       莱山案内し九字より一字まで諸席を通観せしむ


読んだ瞬間、あんた何やってんだ…と思ってしまったのは自分だけだろうか。
木戸さんは「竹田(名前忘れた)」という人の書画が好きだったらしく、よく日記にも「竹田の双福を見た」だの書いてあります。そのせいなのか、骨董品屋にお茶席を設けてお客さんをおもてなし。
…いったいどこの店の主人だよ、とつっこみたくなりました。
でも本当に叫びたくなったのは次です。


7月8日 伊勢誤て海中に落つ挙舟大いに驚く授けて舟に入る

だからあんた本当に何やってんだアァァァァッ!! 
…と、某マンガのKツラさんにするようにツッコミしたのは絶対自分だけだはない。
もうホントに何やってんのこの人。
そらいきなり落ちたら誰でもビックリするよ。
「誤て」ってあるけど、どう誤ったら海におちるんですか?
可笑しすぎて腹筋いたくなりました(笑)


<引用:『木戸孝允日記』木戸孝允 日本史籍協会編>


大いに笑わせてもらった7月8日。
今回の題名はもう「伊勢珍道中」に決定です。
それにしてもホントこの人の日記はおもしろい(笑)
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