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大正11年(1922年)2月1日
明治の元勲・山県有朋は84歳の生涯を終えました。
国葬が執り行われましたが、出席者は彼の親しかったものと陸軍関係者のみという
なんとも寂しいものだったそうです。
国民には圧倒的不人気で、「死ぬのもまた社会奉仕」とまで言われてしまった彼。
だけど嫌いじゃないよ(誕生日と命日忘れてたけど…)
ちなみにガタは松陰門下の中で2番目の長生きです。
1番は渡邊高蔵(1843~1939)の97歳。彼は昭和14年まで存命でした。

遅すぎですが、追悼として和歌を紹介します。


  慶応元年乙丑正義党の勝利その後のこともなげかはしくて
 ひつしのみ群る世こそうたてけれとらふす野へに我はゆかまし

題名の通り、慶応元年の元治の内乱終了後に詠んだものです。
たぶん「羊の群れだけがいる平和な場所よりも自分は虎が潜む野に赴こう」みたいな感じだと思います。
自ら危ない場所へいこうだなんて、「石橋叩いて渡る」ガタらしくないような…
それにしても、題名の「その後のこともなげかはしくて」って何の事なんでしょうか。
まさか高杉さんが後始末投げ出して英国に留学するって言いだしたことなんじゃ…
ガタの頭は高杉さんのことばかりですね!


 下の関なる佐伯なにがしのうしろ田の招隠亭に高杉と共にゆきて
松杉の木の間の庵そなつかしき世をうしろ田のかたほとりにて


佐伯なにがしに招かれて高杉さんと共に(たぶん)料亭に行ったガタ。
「なにがし」って。名字まで書いたなら名前も書いてやれよ。
「高杉」と呼び捨てにしていますが、実際はどう呼んでいたのでしょうか?
ドラマや小説では「高杉さん」が主ですが、某漫画ではなんと「晋作」と呼び捨てにしておりました。
まあガタは高杉さんより1つ年上なので呼び捨てでもおかしくはないんですが、
実際に呼び捨て何ぞしたら、ガタは間違いなくフルボッコでしょう。
俊輔なんか聞多辺りにそそのかされて実行し、フルボッコにされてそうです(笑)
たぶん「高杉さん」が妥当でしょう。

妄想がひどくてすみません。
全く和歌に触れてなくてごめんなさい。
2つ目はいまいち分からなかったんです…もっと勉強します。

最後に1つ。
あまり追悼になってません。
ごめんガタ。
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