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2010.02.11 黒船来航
これまた久々更新。

 黒船来航

嘉永6年(1853年)6月、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・C・ペリーが蒸気船サスケハナ号で浦賀に来航。
大統領国書を提出し開国を迫るが、幕府は来年まで待つよう返答。ペリーは受け入れ退去。
翌年の安政元年(1854年)、ペリーは再び来航。日米和親条約を締結する。

以上が黒船来航のおおまかな全容(?)です。
この黒船来航から約20年にわたる幕末の動乱が始まったといっていいでしょう。
大河ドラマ「龍馬伝」でも描かれていましたが、幕府はオランダを通して黒船が来る事を知っていました。
しかし対策が浮かばないまま黒船が来港し、200年にもわたる鎖国の終わりを迎える事になりました。
時の老中首座(老中トップ)・阿部正弘は親藩、譜代大名に限らず、幕政に口出しできなかった外様大名などにも意見を求めました。
このため多くの諸藩が積極的に幕政に参与するようになり、薩摩・長州を始めとする西南の雄藩が政治舞台に上がり始めます。
そして政治の舞台は江戸から京都に移り、激動の幕末が本格的に始まるのです。

ちなみに黒船来航時、我らが長州の皆さんが何をしていたのかまとめてみました。
 吉田松陰
【嘉永6年】 24歳
藩より10年間の諸国遊学の許可を受け、江戸へ。ペリー来航を聞き、浦賀にて黒船を観察。
『将及私言』などの上書を藩主に提出し、重臣から非難される。
佐久間象山から示唆を受け、ロシア艦に乗り込むため長崎に赴くが、プチャーチン一行と行き違いになり失敗。
【安政元年】 25歳
門弟・金子重之助とともにアメリカ密航を決行するも失敗。自首し江戸伝馬町牢獄につながれる。

 桂小五郎
【嘉永6年】  20歳
江戸に剣術修行の遊学中。斉藤道場に通い、神道無念流の免許皆伝を受ける。
幕命により長州藩は相川警備の任につく。小五郎は相川警備の健策を上書。
【安政元年】 21歳
ペリーの再来航に刺激され、剣の師匠・斉藤弥九郎を介して幕府代官・江川太郎左衛門に
ついて約一ヶ月、台場築造工場を見学する。

 高杉晋作
【嘉永6年】 15歳
12月20日、父親に従い江戸行きを許可される。
この年頃、明倫館小学部より同大学部に進む。

とまあ、皆さんいろいろしておられます。
他の人は史料不足で不明。ごめんなさい。
それにしても松陰先生の行動力は見事です。
アメリカ密航の前にロシアへ密航しようとするとは…恐れ入りました。
ちなみにこのアメリカ密航のことは、ペリーの遠征記録である『ペリー遠征記』にも
しっかり記されています。なんか素晴らしい的な事が書かれていたような気が。
すみません。ちゃんと調べときます。

では今回はこの辺で。
お粗末様でした。

参考文献
『高杉晋作の29年』『日本史B用語集』『最新日本史図説』『醒めた炎』『時代を招いた師弟』
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