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2009.12.03 青木周蔵
今日図書館で「青木周蔵自伝」という本を借りました。
読んでいたら無性に彼について書きたくなりました。

これを読むと彼がどんだけ木戸(桂)さん大好きか、ということが痛いほど分かります。
お前どんだけ木戸さん好きなんだよ、と突っ込みたくなります(笑)
詳しくは続きからどうぞ。




青木周蔵

青木周蔵

弘化元年1月15日(1844年3月3日)~大正3年(1914年)2月16日
長門国厚狭郡小埴生村生まれ。村医三浦玄仲の長男。
幼名:団七 通称:周蔵
享年69

生涯
長州藩の村医者・三浦玄仲の長男として生まれる。22歳の時、藩医で蘭学者・青木周弼の弟、青木研蔵の養子となり、
2人の名をとり周蔵と名乗る。
藩校・明倫館で学んだ後、長崎で医学修行を行う。1868年に木戸孝允の推薦により藩留学生としてドイツに留学。
渡独後、医学から政治・経済に無断転科したため問題となるが、ドイツに来ていた山県有朋に談判し事なきをえる。
帰国後は伊藤・山縣・松方内閣で外務大臣として不平等条約の条約改正などに努める。
日本におけるドイツ通の第一人者として、ドイツの文化などの導入や普及にも尽力した。


あとがき
少ないですね。この人書くことあんまり無いんです。
ただこのままではあまりにも少ないので、ここから彼の木戸さん好きっぷりについて書きたいと思います。
ていうかむしろここからが今回のメインです。

青木周蔵の木戸孝允への敬愛ぶりは彼の自伝「青木周蔵自伝」を読めば分かります。
彼は自他共に認める木戸公大好き人間です。
青木家は木戸さん生家の和田家の三軒となりにありますし。

以下巻末の解説部分より引用

自伝中には、青木の人物評価というか、人間に対する愛憎の深さが、実に鮮やかに画き出されている。
これは青木の個性の強烈さを自ら語っているともいえる。青木の口の悪いのは定評であるが、木戸孝允に対しては別格である。青木は木戸を慈父の如く尊敬している。「第四」~「第八回」までは、木戸との交遊を記し、その中で情熱をこめて木戸の政治家として、人間としての偉大さを称え、木戸との親密さを「誇」として記している。青木は木戸の尽力でドイツに留学し、外交官にも就任している。世話になったから称えているのではない。
(省略)
青木の一方的な尊敬でなく、木戸もまた青木を大いに嘱望していたことがわかる。


<引用:『青木周蔵自伝』 校注・坂根義久 平凡社 東洋文庫>

とまあ、他人からみてもこんな感じです。
ホントこの本から木戸さん好きっぷりが伝わってきます。
もっと詳しく書こうと思いましたが、長くなりそうなので別記事にします。

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