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2009.12.02 安政の大地震
久しぶりにこのカテゴリに追加しました。
なかなか書く勇気がなくて……


この安政の大地震は知らない人が多いと思います。
なぜこれにしたかというと、栄太こと吉田稔麿についてちょっとしたエピソードがあります。
それを書きたいが為に…

こんなのよりちゃんとした概説書を読むことをお勧めします。






 安政の大地震

安政の大地震とは、安政2年10月2日(1855年11月11日)の夜10時ごろ、関東地方南部で発生した大地震である。
江戸城の石垣が崩壊し、本所などの下町を中心に死者が4300人、倒壊家屋約1万戸など大変大きな被害があった。
この地震により、水戸藩主の徳川斉昭の腹心で「水戸の両田」と称された藤田東湖と戸田忠太夫が死亡。その為、水戸藩の尊王攘夷派は大きな影響を受けた。
また佐久間象山はこの地震を機に大地震を予測する、地震予知機を発明した。

当時の吉田栄太郎
この安政の大地震が発生したとき、栄太郎は江戸長州藩邸にいた。藩邸も地震の為被害を受け、栄太郎はその後片付けなど地震後の処理に当たっていた。
その見事な働きぶりを、目にとめた人物がいた。
長州藩世子、若殿こと毛利定広であった。
定広は栄太郎の働きぶりとその優秀さに感嘆し、そばにいた小姓に栄太郎の名前を聞きとめさせた。
その後栄太郎は藩を脱藩し、文久2年に帰藩。当時脱藩は死罪になるほどの重罪であった。
しかし、栄太は死罪を免れたどころか、帰藩を許され軽い処分で済んだ。
その背景には定広の存在があった。定広はあの安政の大地震で活躍した栄太の名前を覚えていたのである。その定広が掛け合い、栄太の帰藩が実現したのである。
時期藩主が足軽の者の名前を直々に覚えている、ということは、当時の身分社会から言えば大変凄いことである。栄太郎は大変感激し、涙を流したという。


えー、このエピソードが書きたいが為に選びました。しかも説明より、こっちが長いって…

まあとにかく本当に長州の藩主親子はすばらしい。
彼らほど藩士想いの殿様はおりません!

とりあえず落ち着いて…
この安政の大地震は結構大事件だと思うんですけど、教科書にも載ってないし、幕末好きな人でも知らない人が多いんですよね。
この地震で「尊皇の大本山」である水戸藩は、藤田東湖を失ってますし。そのせいで水戸藩は歴史の流れに乗り遅れた、とか言われることもあるし。
それにしても地震てほんと怖い…!


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